関西大学合格!「山田高校 指定校を選ばずに得たかけがえのないもの」
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プロフィール
- 出身校
- 山田高校
- 入塾時期
- 高3 春(4〜6月)
- 部活の活動ペース
- 週1回
- 部活引退時期
- 高2(3月まで)
合格者の声
私はマナビズムに入るまではずっと指定校で大学に行こうと考えてました。しかし、夏休みを無駄にすることが怖くなり、6月に定期テストと両立できる塾を探そうと思いました。
そこでマナビズムに行ってみると私は勉強の本質を理解していなかったことに気づきました。そして、そこからは定期テストのことを忘れ、より新しいことを学びたいという願望がどんどん増えていきました。そうして、私の受験勉強が始まったのです。目指すは関関同立のトップの同志社でした。
6月から始めたので、とても遅れを感じていた私は、起きている時間を全て勉強に使って、ひたすら勉強し続けました。そして、入塾して始めてのテストがありました、内容は動詞の語法と構文と英文解釈でした。地頭が良くないことは自覚していたので勉強量で圧倒しようと本気で取り組みました。\そしてついに当日、動詞の語法以外はひどい結果でした。でも動詞の語法はできたのでやればできるという事は分かりました。そこからも毎日、起きている時間の全てを勉強にかけてました。それでも全く実践的な事をやる時間も無く、常に周りとの遅れは感じていました。
だから、暗記科目の日本史だけは周りに負けないように1番時間をかけていました。そして夏休み明けになり、次のテストの時期がやってきました。やることはやり終えたと思っていましたが、結果はまたしてもひどいものでした。その時、周りとの差をとても感じ、同志社を目指すのを諦めようかなとも思いました。でも、努力はし続けました。その後過去問をやり始めると、関大の過去問では7割程度取ることができました。自分のやってきたことは間違いなかった、明らかに成長してると実感しました。
調子に乗って後悔
ここで初めて私は少し気持ちが緩み、勉強量が減ってしまいました。それなのにその後同志社の過去問でも7割ぐらい取れてしまい、完全に調子に乗りました。しかし、私の実際の実力はそこまで達していなかったのです。関大と同志社の過去問を何回か解くと、どちらも7割を取れませんでした。調子に乗って勉強量が減った時間をとても後悔し、また勉強に打ち込みました。
指定校を選ばずに得たもの
その後、関大では8割をとれるようにもなりました。今度は同志社も安定さしてやるとやる気に満ち溢れてきました。ですが、そう簡単にはいきません。そこからは英語を伸ばすことが私の課題でした。自分の実力を信じて努力し続け、大晦日についに同志社も合格点がでました。でも喜びはなく、常に安定させないと意味はないと秋の自分の失敗を心に刻み、最後の最後まで努力し続けました。
ついに入試が始まりました。手応えはありました。残念ながら同志社は全て落ちてましたが、関大には受かることが出来ました。6月に受験勉強を始めてから辛いことばかりだったけれど、指定校を選ばず受験を選んで得たものは、これからの人生でかけがえの無いものになりました。