そして今も歩き続ける

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へろう
マナビズム茨木校舎の中桐です!

※今回の記事はチョーーーーー長いです。受験生のみんなは勉強時間を削りすぎないように気を付けてください。笑

不安と焦り

公募推薦入試や過去問演習など、入試本番を意識した勉強の比率が増えていく中で、今週特に多い相談がありました。

「がんばってるけど伸びてる気がしません」
「○○大学に間に合いますかね?」
「今の時期って先生たちってどれくらい点数取れてたんですか?やっぱり良かったですか?」

かなり焦ってますね。笑

入試までほんとにあと数日、ってなったら「今までやってきたことを信じるしかない」って割り切れる子が多いのですが、逆に今の時期のように入試まで日が残されてるようで残されてない、みたいな状況の方が精神的にはつらかったりしますよね。

そんな受験生の様子を見てて、状況は違いますが、自分が大学4年のときのことを思い出したので書いていきたいと思います。

「え、就職するの?」

僕が最初にマナビズムに出会ったのは大学3年生から4年生に進級する頃でした。当時個別指導の塾でアルバイトをしていて、「どうやったらもっと上手く教えられるかな」と考えながら(というのは建前でバンドのPVやライブ映像をチェックするために)Youtubeでいろんな授業の動画を見ていました。

合格応援談の動画を見ました。
衝撃を受けました。
世の中にこんなに志高く教育に携わっている人がいるのかと思いました。

僕の大学・学部では4年生になるときに必ず1つの研究室に所属することになっていて、当時は研究室見学をしている時期でした。今だからこそ言えることではありますが、高校のころから自分で理系の道に進むことを選んだものの、特に研究を面白いと思えるようなこともなく3年間が過ぎてしまい、4年生で研究室に入ってもきっと満足した生活は送れないんだろうなと思っていました。

そんな時にマナビズムに出会って、本格的に自分の将来を考えるようになりました。周りの友達は既に就活を始めて少し経っているくらいの時期でした。
「このままの生活を続けていれば、ある程度安泰な将来は多分約束されるんだろうな」
「けどマナビズム楽しそうだな」
「けど今の時期から就活をしても大丈夫かな」
「そもそも就活って何から始めたらいいんだろう」
「悩んでるくらいならいっそ大学を辞めてしまって早くマナビズムで働いた方がいいかな」
「でも大学中退ってなると経歴にキズがつくかな」
いろんなことを考えました。でも行動には全く移せませんでした。

ずっと一人で考えていても仕方ないと思い、母親に相談してみました。
このときはまだ研究室配属が決まる直前くらいだったと思います。

結果、めちゃめちゃに反対されました。
まあ、そりゃそうだよなって感じではありましたが。笑

ただ、感情的に反対されたというわけではなくて、僕の将来を思って反対してくれてるんだなという感覚は今でも覚えています。相談の結果、4年生になってから改めて考えれば良いということに落ち着きました。実質それは、就職するのはやめておけというメッセージであり、それを受け入れた形になりました。

進級して4年生としての生活が始まったものの、それは想像していた通り無機質なものでした。研究室に配属になった(僕を含めた)3人は大学1年の頃からよく一緒にいたメンツで、先輩も優しい人ばかりだったので、環境が悪いわけではなかったのですが、いかんせん自分自身が研究というものに興味を持てなくて、毎日毎日やるべきこと(研究とかTOEICとか)を適度にやって、あとはサークルに顔を出したり3人でゲームしたりという日々を過ごしていました。

情けない話ですが、学年が変わるタイミングで就職するのを諦めていたので、大学4年間の中でも一番無益な時間を4年生の前期では過ごしていたと思います。そんな中で新しい生活サイクルにも慣れてきて、夏にある大学院の試験に向けて、それの対策もしなくちゃいけないなとぼんやり思いながら日々を過ごしていました。

この頃、僕は改めて自分の将来について考えるようになっていました。何故かというと、大学院に受かると、「安定はしているけど自分にとってはつまらない将来」が約束されてしまうと思っていたからです。(大学院が悪いと言ってるわけではないのでどうかご理解を。笑)

就職するのはあきらめていたものの、マナビズムへの思いは捨てきれていなかったので、それまでもYoutubeはずっと見ていました。受験トーーク、合格応援談、合格対談、参考書知恵袋、だべリズム…。

「本当にこれが自分の望んでいる生活なのかなあ」
心では常にそう思っていたものの、なかなか踏み出す勇気が出ず、再度自分の気持ちを押し殺しました。

8月中旬、大学院の試験に合格しました。
親にも友達にもバイト先にも報告しました。
みんな「おめでとう」と言ってくれました。
けど僕は心の底から喜ぶことはできませんでした。

9月下旬。
いつものように受験トーークを見ていたら、今までは無かった「スタッフを募集しています!」という広告が最後に流れてきました。
体に電流が走りました。初めてマナビズムの動画を見たときと同じ。これで自分の心の声を聞くのは3度目。本当はもう自分が何をやりたくて何をすべきなのはわかっているはず。自分の意志で進め。神様にそう言われているのだと思いました。

すぐに母親に連絡しました。
「いろいろ考えたけどやっぱり大学院はやめて就職する」

もちろん猛反対。しかも前回とは状況がかなり違う。けど僕は、このチャンスを逃したらもう本当に一生ここで働けないと思っていたので、何を言われても「ここに就職する」としか言いませんでした。

以前受験トーークでも話させてもらったのですが、この時期によく聞いていたのが[ALEXANDROS]のspyでした。

紆余曲折を経て説得し、マナビズムの採用に応募しました。このとき9月末。ここで僕は、自分勝手な行動をとってしまった以上、(春頃中退を考えていたこともあるので)卒業くらいはちゃんとして、親に恩を仇で返すことがないようにしようと決意しました。それから面接等をしてもらい、10月の中頃に内定をもらいました。

就職することが確定してから、教授に大学院辞退を伝えました。採用の面接以上に緊張したかもしれません。「え、就職するの?」はそのときの教授のリアクションそのままです。笑

これであとは卒業論文を書くだけ。軽い気持ちでそう思っていたのですが、その「卒業論文を書くだけ」が最後に僕に重くのしかかってきました。

卒論を書くにあたって最初にやらなければならないのが「研究テーマの決定」でした。ここで僕はいきなり躓きました。

「何を研究したらいいのかわからない…」

こればかりは完全に自業自得。笑
半年間サークル行ってライブしてモンハンしてテニスしてたまにゼミで発表しての生活してたら、そうなるのは明白でした。

いつまでたってもテーマを決められない僕を見かねた教授と助教が、一応前期にちょこっとやってた内容に関連して、テーマ決めのヒントをくれて、やっと卒業研究がスタートしました。

僕が携わっていた(と言うのもおこがましいですが)研究はある装置を使うのですが、その装置を使用するのに起動→終了の1セットで約2時間は誰か(基本は実験する人)がその場に居なければいけませんでした。

しかもそれは装置を使う時間だけであって、当然ですが試料の用意や、実験後のデータ解析などはまた別にやらなければいけません。助教と相談し、卒業までにどういうスケジュールで実験・分析をしていくかを決めました。

土日はオフ。平日は毎日10:00-21:00。ただし装置を使う日はサンプルの用意をしなければならない(しかも作り置きができないから絶対当日の朝…泣)ので朝8時には来て準備する。

(マジ…?笑)
と思いました。正直。けど、自分が決めたことだからこれくらいはやり遂げなければならないと思いました。もっと言うと、装置を使用するには免許的なものが必要で、前期チャランポランの僕はお察しの通りその試験を受けてすらいなかったので、実験自体は助教を巻き込んでやることになっていました。到底僕が勝手に投げ出せるような状況ではありませんでした。

そこから僕は無遅刻無欠席で学校に行きました。(まあ当然のことではありますが)
望み通りのデータが得られないこともあったりしましたが、実験自体は大きな問題もなく進み、何とかなりそうな気配がしていました。

ただ、12月頃から少し僕の精神がおかしくなってきていました。

(助教メインだけど)実験もしてる。解析もしてる。得られたデータをまとめてゼミで進捗発表もしてる。けど、何を目的に研究しているのかと言われたら何も答えられない。卒業しないといけないから。ただそれだけ。

本当にこんな素人が考えたお遊びみたいなテーマで卒業できるのか。普通の人が1年かけて書く論文をたった数か月の実験で書きあげることができるのか。

阪大生にもなってって感じですが、今振り返っても「そんなこと考えた所でどうしようもないのに…」ということで僕の頭はいっぱいでした。家に帰ってからはもちろん、実験の合間の休憩時間ですら、スマホや研究室のパソコンで「卒論 つらい」「卒論 書けない」「卒論 テーマ やり直し」みたいなことを調べて、励ましてくれる記事を見て、なんとか心を落ち着かせようとしていました。全く落ち着きませんでしたが。笑

同時にこの頃、僕はある曲をずっとずっと聞いていました。

これが僕の望んだ世界だ
そして今も歩き続ける
不器用な旅路の果てに
正しさを祈りながら

ロストマン-BUMP OF CHICKEN

就職すると決めた段階で、辛いことがあるのは自分でもわかっていたはず。自分で選んでやり遂げることを決めたのだから、途中で投げ出してはいけない。この曲に毎日勇気づけられながら、何とか研究を続けていました。

ところが、12月下旬、体が限界を迎えました。
その日は装置を使用せず解析に集中する日だったので9時頃に起きる予定だったのですが、朝5時頃に超強烈な腹痛で目が覚めました。今まで経験したことのないほどの激痛でした。吐き気と目眩にも襲われました。生まれて初めて両手両足がしびれて動けなくなりました。オーバーに書いてると思われるかもしれませんが、全部本当です。

さすがに心が折れました。
「自分で決めたこととは言え、ストレスでこんなになるまで卒論がんばる意味あるのかな…」
部屋で一人悶え、泣きそうになりながら「痛い…」と「やばい…」を繰り返しながらそう思っていました。

少し時間が経って、痛みが引いてきて、何とか動けるようになりました。
(良かった…)
そう思って時計を見たとき、愕然としました。

7時

気絶してました。
いつから気を失ったのか全く記憶にありませんでした。

さすがにこれはやばいと思って、その日は休むつもりで眠りにつきました。しかし、再び目を覚ましたのは、十分大学に行ける時間帯でした。そのときに、「学校行かなあかんのやな。笑」と吹っ切れました。苦しいことがあっても最後まで続けろってことなんだと、自分の中で納得しました。

それからは、相変わらず手取り足取りではありましたが順調に進めることができ、卒論も完成し発表も滞りなく終わりました。いろんなことがありましたが、なんとか卒業して今こうしてマナビズムで働いています。

決断と継続

今の時期、数えきれないほどの不安や焦りと闘いながら勉強をしている子がほとんどだと思います。入試というものは、「合格」の2文字を自分の目で見るまで不安が尽きることはありません。順調に行ってなかったらもちろん心配だし、順調に行ってたとしてもこのまま維持できるのかなといった不安も出てくるでしょう。

けど、そういう道を歩むと決めたのは過去の自分であり、受験をすると決断したときの自分は「志望校合格」に向けて輝かしいビジョンを描けていたはずです。不安になることは悪いことではありません。一生懸命取り組んでるからこそ、「届かないかも」という気持ちが生まれるものなんです。本気じゃなかったら焦りや恐怖なんて感じません。でも、それに飲み込まれてしまうのも良くありません。「今までこれだけやってきたんだから絶対大丈夫だ」と胸を張って言えるような生活を送っていれば、きっとその努力は実を結びます。

点数がどれだけ低かろうが、周りになんと言われようが、絶対に最後まで諦めずに戦い抜いてください。

(超長いのに最後まで読んでくれてありがとうございました。笑)

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